2014年4月30日水曜日

映画「南営洞1985」上映、トークショー、懇親会


「折れた矢」をなんで見たかというと、この「南営洞1985」の懇親会に出席させて頂く機会を頂いたからでした。
そして見ました「南営洞1985」
南営洞と言ったら、拷問のための施設のある街である、と言うことがある程度の思想を持っている人なら誰でも知っているようで、映画の中でも主人公は「ここは南営洞か!?」と尋ねる場面があります。
それほどに恐れられていた場所だと言えるのでしょう。

東日本大震災があったにもかかわらず相変わらず平和ボケから抜けきれないで居る日本人にとって「拷問」等というものはもう過去の遺物で、想像もつかない世界だと思われますが、映画のタイトルにもあるようにこの映画は1985年の実話です。

今から29年前。
まだ30年経っていないのですね。

実は私が最初に韓国を訪れたのが1984年か85年だったと思うので、丁度その頃の話です。

韓流ブームがやってきてモッチンKpopのタレントさんに若い日本女性がキャーキャー言う日が来るなんて想像もつかなかったあの頃。

オリンピックが来たらこの国も少しは変わるのだろうか?と思いながらまだバラックだらけだったソウルの街を眺めていたあの頃。

まだ戒厳令があって、民主化していなかったあの頃。

市場の写真を撮ろうとしたら、市場のアジョシに「日本人が綺麗な服着て汚い街を写真に撮って何が楽しいのだ!?」と怒鳴られたあの頃。

ソウル駅の隣の駅であるこの南営駅のすぐ横にあるこの施設では、まだ人々が拷問にあっていたのでした。

映画として拷問のシーンをキワモノとしては描いていません。
恐ろしいけれどもそれを敢えてあおるような描き方ではない。
しかし、手記にあったことをそのまま忠実に描いているのだろうなと思うと、その方がぞっとしたりはします。

どんなに気高い思想も志も、あっという間に崩れ去っていく。
そして何でもするから許してくれとすがりつくようになる。
本当は何も悪いことなどしていないのに。
すまない、許してくれと謝り続ける。

これが人間の現実なのだ。

悲しいけれど。

そしてエンドロールには、この原作となった手記の他に
監督が取材した、実際に拷問を受けた人々の映像が短いけれども流れます。

本当に拷問を受けた人たちの、言葉と顔と声。

「拷問は、耐えられないから拷問なのだ」
その言葉には、拷問に耐えられなかった事を悔いる思いが込められている。
私がここで書いても仕方のないことだけれども、
拷問に耐えられなかった自分をどうか責めないで欲しい。

そしてもう一つ。
「許したのは、許さなかったら自分が相手と同じ悪魔に墜ちてしまうからだ」
という言葉。
本当に許されざる処遇を受けて
心の底から相手を憎み
憎まざるをえないことを苦しみぬいて
そして最後に選んだ選択が
「相手を許すこと」
この選択が意味するものは、きっと体験した人にしか、分からないでしょう。



トークショーの様子。
西ヶ原字幕者の林原さん、チョン・ジヨン監督、司会の阪堂千津子先生


記念写真も撮らせて頂きました。

監督に何故こういう映画は日本では製作されないのでしょうか?と質問している方が居て、そばで聞いていたのですが、「日本の監督に勇敢さが足りないのではないか」と言われ、少々耳が痛かったです。
ああ、大島渚監督がいらっしゃっていたら、とつい思うのでした。

そしてこの映画の字幕やトークショーその他を企画されている西ヶ原字幕社さんのブログには今その施設が人権センターになってまだ南営にある事が書かれています。

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