2014年7月31日木曜日

語彙어휘

오늘 배운 단어  今日習った単語

※컴맹 コンピューター知らず

    컴は컴퓨터コンピューターの컴

    맹は漢字の盲

※쪽집게 ズバリ

     …でも自動翻訳かけたら「毛抜き」って出て来たわ。

     俗語かな。

     썩둑って言った方がいいのかしらん?

2014年5月4日日曜日

南営洞1985を観た後でこの記事読むと…‘拷問技術者’イ・グンアン "それは一種の芸術だった"

‘拷問技術者’イ・グンアン "それは一種の芸術だった"

南営洞1985の後にこれ読むと何とも言えない気分になりますね。
やはり狂気としか。
牧師になったこと自体、自己を正当化しようとするためだったのではないかと疑ってしまうけれど、もしかしたら、本当に本人には自分のやったことが何だったのかの自覚がないのかも知れません。
しかし、キリスト教に帰依するのは良いとして牧師にまでしちゃって良いんですかね、いくら懺悔すれば許されるからと言って…。
被害者感情というものもあるでしょうに……。
そもそも被害者の証言との齟齬がこんなにあるのに懺悔したって言えるんですかね?

この記事以外の情報が無いので何とも言えませんが、映画の中で葬儀屋と呼ばれたイ・グンアン。
牧師になったけれど過去の自分を美化して批判を受ける、という情報だけどこかで見ていたのですが、こういう内容だったとは。

「確かに暴力的な行為はあるにはあったが、それほどじゃない。」

これは、よく使われる言い訳ですが、
それ以上に驚くのが

”自身の尋問は「一種の芸術」だと強弁した。”

自分の行為に酔いしれていたんですね。

確かにこの「南営洞1985」という映画の中に出てくる葬儀屋と呼ばれる拷問技術者は、動作にも尋問にも全く無駄がなく、本人のたたずまいも品があり、知的な印象を与え、恐らく教養もあり、同僚に対しても思いやりもある、完璧な人間と言えます。

しかし、彼は拷問技術者なのです。
想像を絶する拷問を与えながら、ラジオを聞きたいという部下の言葉を聞き入れてやるやさしさ。

全てが狂っていることを、誰も気づかない。
この人だったら後になって、この記事にあるようなことを言うかも知れないという雰囲気が漂っていますね。

素晴らしい演出です。

映画の中で葬儀屋がキム・ギョンテに
「もしも世の中が変わったら、あなたが私を拷問するがいい」。
と言う言葉は、「時代がそうさせたのだ、君には気の毒だけれども」という意味かと思っていたのですが、ひょっとしたらそうではなくて
「たとえ立場が変わっても、君には私のような芸術的な拷問は出来ないだろう?」という挑発だったのだろうか、とさえ思ってしまいました。

狂気の人間はに正気には戻らない。
同時にサイコパス、という人格障害を表す言葉を思い出し、生きていくことの難しさ、それを改めて実感する記事でした。

後でちょっと文章直すかも…

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南部軍 愛と幻想のパルチザン

「南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~」を観た勢いで
「南部軍 愛と幻想のパルチザン」も観る。

観ながら昔読んだ「鄧小平伝」を思い出す。
アレを読んでいるとこんなのもう全然ロマンティックですよね、ってまたひどい事言ってすみません。
中国共産党関係で読んだ本って多分それしか無いと思うので間違いは無いと思うのですがもし間違ってたらすみません、あっちの方が話がひどすぎて、インパクトはあります。
それに比べるとこの映画は本当に上品に出来ています。
監督の人品ですかね。
とは言え戦争の映画ですから死体とかバンバン飛び交いますけどね。

共産党関係だと兵士にも女性が多いんですよね、平等だから。
で、戦争しているから命の危険を共にしたりもして、
するとやっぱり、なんとか効果もあるから、淡い恋心も芽生えてくる。
(↑身も蓋もない発想)

1本の万年筆。
一枚の手紙。
一編の詩。
そんなもので気持ちを紡ごうとする、そんな恋を近頃忘れがちですよね。

ただもうこの映画は寒い。
多分スタッフも寒い。
今はアウトドアのいろんな機能性衣料や靴が出来て大分楽になったと思いますが、これ撮影している頃ってまだそういうの無かったと思うので役者はもちろんスタッフも大変だっただろうな、と。

しかも私の見間違いでなかったら助監督の名前が14人も並んでたんですが、ひょっとして10人くらい撮影中に逃亡してますかね。

そして、南営洞のトークショーの時に
「アン・ソンギが凍った河の中で身を潜めるシーンは3回も撮ったんだよねー」
みたいな軽い感じでチョン・ジヨン監督がおっしゃってましたけど、
鬼ですね(笑)。
いや、あれ、やばいと思いますよ。
一回目はたまたま飛行機通っちゃって、飛行機の音入っちゃって。
二回目はスチール写真がうまく撮れなくて、
で、三回凍った河に入ったアン・ソンギ。
しかも確かノーギャラで。
まあ、ギャラが出てるかどうかの問題じゃないんでしょうけどね……。

映画観てもそんなことばっかり考えてて、変なおばさんですいません。

そして結論として、結局朝鮮戦争の映画ってテーマはほぼ一緒ですよね。
なんで同じ民族が戦わなければならなかったのか。
ちなみに今もまだ休戦中で、北朝鮮と大韓民国、戦時中ですからね。
130万人が死亡、110万人が行方不明。
ただ、パルチザン側から描いた映画は初めて観たかな…。
「この戦争で勝ったら、世の中が良くなるんだよね」と信じているのが哀れです。
多分南側だってそう思っていたに違いありません。
ちなみに南部軍とありますが、北朝鮮兵団(中央山地沿いに潜入した北朝鮮政治指導部と、北朝鮮軍敗残兵、麗水・順天事件の韓国軍脱走兵、南朝鮮での共産主義シンパの活動家 by wiki) の南部支部団ということですから、名前は南部軍ですけど北サイドなんですよね、余計なお世話だったらすみません。
指揮官の李鉉相はシルエットだけで出て来ます。
済州島「4・3蜂起」の指導者でもあったそうですね。
その辺りは5月2日までユーロ・スペースでやっていた「チスル」に詳しい所でしょう。

しかも山岳パルチザンは資料にさえ残っていないとか…。
と言うことは上の人数の行方不明の中に含まれるのでしょうか……。
当時どれだけの人々がその思想に、理想の国家を夢見て、このパルチザンに入山していったことでしょう。
結局はただの殺し合い。
暴力や殺戮が新しい世界を生み出すことはない、ということを人類はいつになったら学べるのでしょうか。

今見たらこの本絶版になってるみたいでビックリ。
読みやすい価格の本なのになんでこういうものが絶版になっちゃうんだろう……。

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2014年4月30日水曜日

最近思い出すのは「タワーリングインフェルノ」~韓国旅客船沈没事故を受けて


この映画を子供の時に見たときは、本当に衝撃でした。
何故かというと、それは、炎の演出が素晴らしいからではなく
スティーブ・マックイーンがカッコ良いからでもなく
ポール・ニューマンが素敵だったからでも何でもない。

全然素敵な映画じゃなかった。
少なくともその時の私にとっては。

何故か。

この映画の火事は人災によって起きるから。
一人の人間の誤った行動によって、
穏やかでしあわせな老後を過ごすことになるはずだったフレッドアステアの淡い希望は消え去っていく。

他のエピソードは全部吹っ飛ばして、何故かそこが悲しくて悲しくて仕方がなかったのを覚えている。

間違った人生を歩んできた彼が、老齢にいたって初めて知った愛によって立ち直ることが出来たかも知れないのに、その愛は人災によって成就することが出来ない。

事故だったら。
天災だったら。

きっとこんな風にこの映画が重苦しい記憶として残ることはなかっただろう。

当時の私は、こんなに悲しいことがあって良いのだろうかと、受け止めきれなかった。

なのに。
今それを現実として、家族を待っている人たちがいる。

想像するだけで痛ましい。

もし私が当事者だったら、と、いくら考えても、想像がつかない。

そこに居るのが分かっているのに助けることが出来ないなんて。

何故なのかどうしてなのか、原因はいろいろあるだろうけれども
人災である事には違いない。

人災でなくても、家族の行方が分からない事は悲しい。

けれども、人災だったとき。
それは防ぐ事が出来るはずだったのに、と言う思いが起きて、
数段に苦しくなるに違いない。

何故防げなかったのか。
何故自分たちにだけその人災は起こってしまったのか。
家族にとっては、どんなに時間が経っても、その理不尽さは風化することはないだろう。

どうか一日も早く見つかりますように。
どうか早く家族の元に帰れますように。
私たちには祈ることしか出来ない。





映画「南営洞1985」上映、トークショー、懇親会


「折れた矢」をなんで見たかというと、この「南営洞1985」の懇親会に出席させて頂く機会を頂いたからでした。
そして見ました「南営洞1985」
南営洞と言ったら、拷問のための施設のある街である、と言うことがある程度の思想を持っている人なら誰でも知っているようで、映画の中でも主人公は「ここは南営洞か!?」と尋ねる場面があります。
それほどに恐れられていた場所だと言えるのでしょう。

東日本大震災があったにもかかわらず相変わらず平和ボケから抜けきれないで居る日本人にとって「拷問」等というものはもう過去の遺物で、想像もつかない世界だと思われますが、映画のタイトルにもあるようにこの映画は1985年の実話です。

今から29年前。
まだ30年経っていないのですね。

実は私が最初に韓国を訪れたのが1984年か85年だったと思うので、丁度その頃の話です。

韓流ブームがやってきてモッチンKpopのタレントさんに若い日本女性がキャーキャー言う日が来るなんて想像もつかなかったあの頃。

オリンピックが来たらこの国も少しは変わるのだろうか?と思いながらまだバラックだらけだったソウルの街を眺めていたあの頃。

まだ戒厳令があって、民主化していなかったあの頃。

市場の写真を撮ろうとしたら、市場のアジョシに「日本人が綺麗な服着て汚い街を写真に撮って何が楽しいのだ!?」と怒鳴られたあの頃。

ソウル駅の隣の駅であるこの南営駅のすぐ横にあるこの施設では、まだ人々が拷問にあっていたのでした。

映画として拷問のシーンをキワモノとしては描いていません。
恐ろしいけれどもそれを敢えてあおるような描き方ではない。
しかし、手記にあったことをそのまま忠実に描いているのだろうなと思うと、その方がぞっとしたりはします。

どんなに気高い思想も志も、あっという間に崩れ去っていく。
そして何でもするから許してくれとすがりつくようになる。
本当は何も悪いことなどしていないのに。
すまない、許してくれと謝り続ける。

これが人間の現実なのだ。

悲しいけれど。

そしてエンドロールには、この原作となった手記の他に
監督が取材した、実際に拷問を受けた人々の映像が短いけれども流れます。

本当に拷問を受けた人たちの、言葉と顔と声。

「拷問は、耐えられないから拷問なのだ」
その言葉には、拷問に耐えられなかった事を悔いる思いが込められている。
私がここで書いても仕方のないことだけれども、
拷問に耐えられなかった自分をどうか責めないで欲しい。

そしてもう一つ。
「許したのは、許さなかったら自分が相手と同じ悪魔に墜ちてしまうからだ」
という言葉。
本当に許されざる処遇を受けて
心の底から相手を憎み
憎まざるをえないことを苦しみぬいて
そして最後に選んだ選択が
「相手を許すこと」
この選択が意味するものは、きっと体験した人にしか、分からないでしょう。



トークショーの様子。
西ヶ原字幕者の林原さん、チョン・ジヨン監督、司会の阪堂千津子先生


記念写真も撮らせて頂きました。

監督に何故こういう映画は日本では製作されないのでしょうか?と質問している方が居て、そばで聞いていたのですが、「日本の監督に勇敢さが足りないのではないか」と言われ、少々耳が痛かったです。
ああ、大島渚監督がいらっしゃっていたら、とつい思うのでした。

そしてこの映画の字幕やトークショーその他を企画されている西ヶ原字幕社さんのブログには今その施設が人権センターになってまだ南営にある事が書かれています。

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映画「折れた矢」

ネタバレになってしまうかも知れませんのでラストを知りたくない方は読まないでくださいね。
っていうほど長い感想は書きませんけれど。



2014年4月29日火曜日

2014A/W MeeweeDinkee展示会

明和電機のファッションブランドMeeWeeDinkeeの展示会行ってきました。
MeeweeくんとDinkee君が向かえてくれました。


TORICOちゃんは相変わらず美しく。


今回もお洋服とっても可愛いです。
特にこのプリントがすごい可愛い。
私はこのワンピはさすがに着れないけど。


でもちょっと冒険してこの↓黒の同じデザインのピンクを発注してみました。
早く冬にならないかな~
(まだ夏も来てないのに…)


帰りに一階のカフェでソフトクリーム食べちゃいました。
美味しかった。