この映画を子供の時に見たときは、本当に衝撃でした。
何故かというと、それは、炎の演出が素晴らしいからではなく
スティーブ・マックイーンがカッコ良いからでもなく
ポール・ニューマンが素敵だったからでも何でもない。
全然素敵な映画じゃなかった。
少なくともその時の私にとっては。
何故か。
この映画の火事は人災によって起きるから。
一人の人間の誤った行動によって、
穏やかでしあわせな老後を過ごすことになるはずだったフレッドアステアの淡い希望は消え去っていく。
他のエピソードは全部吹っ飛ばして、何故かそこが悲しくて悲しくて仕方がなかったのを覚えている。
間違った人生を歩んできた彼が、老齢にいたって初めて知った愛によって立ち直ることが出来たかも知れないのに、その愛は人災によって成就することが出来ない。
事故だったら。
天災だったら。
きっとこんな風にこの映画が重苦しい記憶として残ることはなかっただろう。
当時の私は、こんなに悲しいことがあって良いのだろうかと、受け止めきれなかった。
なのに。
今それを現実として、家族を待っている人たちがいる。
想像するだけで痛ましい。
もし私が当事者だったら、と、いくら考えても、想像がつかない。
そこに居るのが分かっているのに助けることが出来ないなんて。
何故なのかどうしてなのか、原因はいろいろあるだろうけれども
人災である事には違いない。
人災でなくても、家族の行方が分からない事は悲しい。
けれども、人災だったとき。
それは防ぐ事が出来るはずだったのに、と言う思いが起きて、
数段に苦しくなるに違いない。
何故防げなかったのか。
何故自分たちにだけその人災は起こってしまったのか。
家族にとっては、どんなに時間が経っても、その理不尽さは風化することはないだろう。
どうか一日も早く見つかりますように。
どうか早く家族の元に帰れますように。
私たちには祈ることしか出来ない。