2014年5月4日日曜日

南営洞1985を観た後でこの記事読むと…‘拷問技術者’イ・グンアン "それは一種の芸術だった"

‘拷問技術者’イ・グンアン "それは一種の芸術だった"

南営洞1985の後にこれ読むと何とも言えない気分になりますね。
やはり狂気としか。
牧師になったこと自体、自己を正当化しようとするためだったのではないかと疑ってしまうけれど、もしかしたら、本当に本人には自分のやったことが何だったのかの自覚がないのかも知れません。
しかし、キリスト教に帰依するのは良いとして牧師にまでしちゃって良いんですかね、いくら懺悔すれば許されるからと言って…。
被害者感情というものもあるでしょうに……。
そもそも被害者の証言との齟齬がこんなにあるのに懺悔したって言えるんですかね?

この記事以外の情報が無いので何とも言えませんが、映画の中で葬儀屋と呼ばれたイ・グンアン。
牧師になったけれど過去の自分を美化して批判を受ける、という情報だけどこかで見ていたのですが、こういう内容だったとは。

「確かに暴力的な行為はあるにはあったが、それほどじゃない。」

これは、よく使われる言い訳ですが、
それ以上に驚くのが

”自身の尋問は「一種の芸術」だと強弁した。”

自分の行為に酔いしれていたんですね。

確かにこの「南営洞1985」という映画の中に出てくる葬儀屋と呼ばれる拷問技術者は、動作にも尋問にも全く無駄がなく、本人のたたずまいも品があり、知的な印象を与え、恐らく教養もあり、同僚に対しても思いやりもある、完璧な人間と言えます。

しかし、彼は拷問技術者なのです。
想像を絶する拷問を与えながら、ラジオを聞きたいという部下の言葉を聞き入れてやるやさしさ。

全てが狂っていることを、誰も気づかない。
この人だったら後になって、この記事にあるようなことを言うかも知れないという雰囲気が漂っていますね。

素晴らしい演出です。

映画の中で葬儀屋がキム・ギョンテに
「もしも世の中が変わったら、あなたが私を拷問するがいい」。
と言う言葉は、「時代がそうさせたのだ、君には気の毒だけれども」という意味かと思っていたのですが、ひょっとしたらそうではなくて
「たとえ立場が変わっても、君には私のような芸術的な拷問は出来ないだろう?」という挑発だったのだろうか、とさえ思ってしまいました。

狂気の人間はに正気には戻らない。
同時にサイコパス、という人格障害を表す言葉を思い出し、生きていくことの難しさ、それを改めて実感する記事でした。

後でちょっと文章直すかも…

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南部軍 愛と幻想のパルチザン

「南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~」を観た勢いで
「南部軍 愛と幻想のパルチザン」も観る。

観ながら昔読んだ「鄧小平伝」を思い出す。
アレを読んでいるとこんなのもう全然ロマンティックですよね、ってまたひどい事言ってすみません。
中国共産党関係で読んだ本って多分それしか無いと思うので間違いは無いと思うのですがもし間違ってたらすみません、あっちの方が話がひどすぎて、インパクトはあります。
それに比べるとこの映画は本当に上品に出来ています。
監督の人品ですかね。
とは言え戦争の映画ですから死体とかバンバン飛び交いますけどね。

共産党関係だと兵士にも女性が多いんですよね、平等だから。
で、戦争しているから命の危険を共にしたりもして、
するとやっぱり、なんとか効果もあるから、淡い恋心も芽生えてくる。
(↑身も蓋もない発想)

1本の万年筆。
一枚の手紙。
一編の詩。
そんなもので気持ちを紡ごうとする、そんな恋を近頃忘れがちですよね。

ただもうこの映画は寒い。
多分スタッフも寒い。
今はアウトドアのいろんな機能性衣料や靴が出来て大分楽になったと思いますが、これ撮影している頃ってまだそういうの無かったと思うので役者はもちろんスタッフも大変だっただろうな、と。

しかも私の見間違いでなかったら助監督の名前が14人も並んでたんですが、ひょっとして10人くらい撮影中に逃亡してますかね。

そして、南営洞のトークショーの時に
「アン・ソンギが凍った河の中で身を潜めるシーンは3回も撮ったんだよねー」
みたいな軽い感じでチョン・ジヨン監督がおっしゃってましたけど、
鬼ですね(笑)。
いや、あれ、やばいと思いますよ。
一回目はたまたま飛行機通っちゃって、飛行機の音入っちゃって。
二回目はスチール写真がうまく撮れなくて、
で、三回凍った河に入ったアン・ソンギ。
しかも確かノーギャラで。
まあ、ギャラが出てるかどうかの問題じゃないんでしょうけどね……。

映画観てもそんなことばっかり考えてて、変なおばさんですいません。

そして結論として、結局朝鮮戦争の映画ってテーマはほぼ一緒ですよね。
なんで同じ民族が戦わなければならなかったのか。
ちなみに今もまだ休戦中で、北朝鮮と大韓民国、戦時中ですからね。
130万人が死亡、110万人が行方不明。
ただ、パルチザン側から描いた映画は初めて観たかな…。
「この戦争で勝ったら、世の中が良くなるんだよね」と信じているのが哀れです。
多分南側だってそう思っていたに違いありません。
ちなみに南部軍とありますが、北朝鮮兵団(中央山地沿いに潜入した北朝鮮政治指導部と、北朝鮮軍敗残兵、麗水・順天事件の韓国軍脱走兵、南朝鮮での共産主義シンパの活動家 by wiki) の南部支部団ということですから、名前は南部軍ですけど北サイドなんですよね、余計なお世話だったらすみません。
指揮官の李鉉相はシルエットだけで出て来ます。
済州島「4・3蜂起」の指導者でもあったそうですね。
その辺りは5月2日までユーロ・スペースでやっていた「チスル」に詳しい所でしょう。

しかも山岳パルチザンは資料にさえ残っていないとか…。
と言うことは上の人数の行方不明の中に含まれるのでしょうか……。
当時どれだけの人々がその思想に、理想の国家を夢見て、このパルチザンに入山していったことでしょう。
結局はただの殺し合い。
暴力や殺戮が新しい世界を生み出すことはない、ということを人類はいつになったら学べるのでしょうか。

今見たらこの本絶版になってるみたいでビックリ。
読みやすい価格の本なのになんでこういうものが絶版になっちゃうんだろう……。

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